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読み物コラム
神武天皇の東征伝承

○大和朝廷のおこり○


一つの政治勢力が登場し、しだいに影響力を拡大して、
やがて大きな力を備えた統一政権に成長するまでには、ふつう長い年月を必要とする。
大和朝廷のもとになった勢力が、
いつ、どこで始まったかを記す同時代のたしかな記録は、日本にも中国にもない。
しかし、わが国で最も古い歴史書である
『古事記』や『日本書紀』には、大和朝廷のおこりについての伝承が残っている。
それは初代天皇とされる神武天皇をめぐる物語である。



○神武天皇の東征○

『日本書紀』に収める神武天皇の物語は、次のようなあらすじである。

天照大神の直系である神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと・のちの神武天皇)は、
国内を治めることにふさわしい土地を求めて、政治の場をそれまでの日向(宮崎県)の高千穂から当方の大和(奈良県)に移す決心をする。
そこで、さっそく水軍を率いて瀬戸内海沿いに東へ進んだ。
大阪湾から上陸しようとしたが、
手ごわい長髄彦(ながすねひこ)の抵抗を受け、兄の一人が流れ矢で戦死してしまう。

苦戦の末、軍勢は熊野(和歌山県)に上陸し、大和をめざす。
険しい山道を踏み迷うさなか、天照大神のお告げがあり、巨大なカラスが道案内をしてくれる。

尊は抵抗する豪族を討ちほろぼし、服従させて目的地にせまった。
ふたたび長髄彦が進路をはばむ。
氷雨が降り、戦いが困難をきわめたちょうどそのとき、
どこからか金色に輝く一羽のトビが飛んできて、尊の弓にとまった。
トビは稲光のように光って、敵軍の目をくらました。

こうして、尊は大和の国を平定して、
畝傍山の東南にある橿原の地に立派な宮殿をつくり、初代天皇の位についた。
これが大和朝廷のおこりであると伝えられている。

○歴史の中の神武天皇像○

大和朝廷がつくられるころに、すぐれた指導者がいたことは、たしかである。
その人物像について、
古代の日本人が理想をこめてえがきあげたのが、神武天皇の物語だったと考えられる。

だから、そのまま歴史上の事実ではなかったとしても、
古代の人々が国家や天皇についてもっていた思想を知る大切な手がかりになる。

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2月11日の建国記念の日は、
神武天皇が即位した日として「日本書紀」に出てくる日付を、太陽暦に換算したものである。


日本サッカー協会のシンボル
この伝承に登場するカラスがデザインされている。
足が3本描かれている。