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第3節 立憲国家の門出
○ 58 日露戦争

日英同盟

三国干渉のあと、同盟をロシアと結ぶかイギリスと結ぶかの選択をせまられ、政府の中でも意見が対立した。

ロシアは、1900年に中国でおこった義和団事件を口実に、
満州(中国東北部)に2万の兵を送りこみ、そのまま居座っていた。(注1)
ロシアが満州にとどまって朝鮮半島に出てこないように、ロシアと話し合いがつくかが最大の争点だった。(注2)

論争に決着をつけたのは、外交官の小村寿太郎が提出した意見書だった。
それは、日露と日英のどちらの同盟が
日本の国益になるかを論じ、日英同盟でとるべきであると主張したものだった。
小村意見書は、政府の方針として採択され、
それにもとづいて交渉した結果、1902(明治35)年、日英同盟が締結された。
日英同盟はこののち20年間、日本の安全と繁栄に大きく役立った。(注3)


日露開戦と戦いのゆくえ

日本の10倍の国家予算と軍事力をもっていたロシアは、
満州の兵力を増強し、朝鮮北部に軍事基地を建設した。

このまま黙視すれば、ロシアの極東における軍事力が
日本が太刀打ちできないほど増強されるのは明らかだった。
政府は手遅れになることをおそれて、ロシアとの戦争を始める決意を固めた。

1904(明治37)年、日本はロシアの軍艦に攻撃をしかけ、日露戦争の火ぶたを切った。
戦場になったのは朝鮮と満州だった。
1905年、日本陸軍は苦戦の末、旅順を占領し、奉天会戦に勝利した。

ロシアは劣勢をはね返すため、バルト海からバルチック艦隊を派遣した。
艦隊のうち38隻が、アフリカの南端を迂回し、インド洋を横切り、約7か月をかけて日本海にやって来た。
これをむかえ撃った日本の連合艦隊は、
東郷平八郎司令長官の指揮のもと、兵員の高い士気とたくみな戦術で
バルチック艦隊を全滅させ、世界の海戦史に残る驚異的な勝利を収めた(日本海海戦)。


世界を変えた日本の勝利

日本海海戦に勝利したとき、日本はすでに、
外国からの借金と国債でまかなった、国家予算の8年分にあたる軍事費を使い切っていた。

長期戦になれば、ロシアとの国力の差があらわれて形勢が逆転するのは明白だった。

アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトは、
日本に最も有利な時期を選んで、日露間の講和を仲介した。
アメリカのポーツマスで開かれた講和会議の結果、
1905(明治38)年9月、ポーツマス条約が結ばれた。

この条約で日本は、韓国(朝鮮)(1897年、朝鮮は国号を大韓帝国と改めた)の
日本による支配権をロシアに認めさせ、中国の遼東半島南部(のちに日本は関東州とよぶ)の
租借件を取得し、南満州にロシアが建設した鉄道の権益をゆずり受け、南樺太の領有を認めさせた。

いっぽう、賠償金を得ることはできなかったので、
戦争を続けようにも国力が限界に達しているという事情を知らない
国民の一部は、これを不満として暴動を起こした(日比谷焼き打ち事件)。

日露戦争は、日本の生き残りをかけた戦争だった。
日本はこれに勝利して、自国の安全保障を確立した。
近代国家として生まれてまもない有色人種の国日本が、
当時、世界最大の陸軍大国だった白人帝国ロシアに勝ったことは、
植民地にされていた民族に、独立への希望をあたえた。(注4)
しかし、他方で、黄色人種が将来、
白色人種をおびやかすことを警戒する黄禍論が欧米にひろがるきっかけにもなった。(注5)

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日英同盟の利点(小村意見書から)
1、アジアにおける英国の目的は領土拡張ではなく、現状維持と通商利益であり、英国と結べばロシアの野心を制して、比較的長く東洋の平和を維持できる。
2、したがって、日英条約は平和的、防衛的なものとして、国際世論からも支持される。
3、英国と結ぶと清国はますます日本を信頼するようになり、日本の利益を増進する。
4、韓国問題を解決するためには、他の強国と結んで、ロシアがやむをえず日本のいうことを聞くようにするほかはない。
英国は同盟を結ぶのに最も適当な国である。
5、英国と結べば、日本の経済について国際的信用を高める。
また、英国人は、同盟国の共通利益ということで、日本に財政上、経済上の便宜をはかるだろう。
6、退嬰帝国とシベリアでは、日本にとっての通商上の価値は比較にならない。
7、ロシアの海軍、英国の海軍よりも弱く、対抗するのが容易である。


日露戦争と独立への目ざめ
「日本がロシアと勝った結果、アジア民族が独立に対する大いなる希望をいだくにいたったのです。」
(中国革命の父・孫文)
「もし日本が、最も強大なヨーロッパの一国に対してよく勝利を博したとするならば、どうしてそれをインドがなしえないといえるだろう?」
(インドの独立運動家で後の首相・ネルー)
「立憲制によってこそ日本は偉大になった。その結果かくも強き敵に打ち勝つことができたのだ。」
(イランの詩人・シーラーズイー)
「日本人こそ、ヨーロッパに身のほどをわきまえさせてやった唯一の東洋人である」
(エジプト民族運動の指導者・ムスタフアー・カミール)


注1、義和団は、郷村の自衛組織を基盤とした、中国の伝統宗教の流れをくむ組織で、外国人を排斥し、宣教師や外国人を殺害、北京の各国公使館を包囲した。
これに対し、イギリス・ロシアなどの欧米諸国と日本をふくむ8カ国が軍隊を送り、鎮圧した。

注2、この構想は満韓交換論といわれ、伊藤博文らが唱えた。

注3、当時、イギリスは東アジアにおけるロシアの勢力拡大を懸念しており、この同盟はイギリスにとっても意義のあるものだった。

注4、ヨーロッパでも、長年ろ紙不帝国に抑圧されていたフィンランド、ポーランド、トルコの人々は、日本の勝利を熱烈に歓迎した。

注5、日清戦争後、すでにドイツ皇帝ウィルヘルム2世などが主張していた。


やってみよう
日露戦争の日本の勝因をまとめてみよう。