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第一節 戦国時代から天下統一へ
○31 桃山文化

大名と大商人の文化

信長と秀吉の時代は戦乱の世ではあったが、商業や貿易がさかんとなり、社会には活気がみなぎった。
大名や大商人は絶大な権力や富を背景に、はなやかな生活を送った。
こうして生まれた雄大で豪華な文化を桃山文化とよぶ。

桃山文化を代表するものに、天高くそびえたつ天守閣をもった城がある。
信長は安土城を、秀吉は伏見城や大阪城を建て、その権力をほこった。
また、姫路城は、城建築の最盛期に建てられた美しい城である。
城郭の内部は、華麗な彫り物や、金銀をふんだんに使った襖絵で飾られた。
その制作の中心となったのは、狩野永徳・山楽ら狩野派の絵師たちだった。
また、長谷川等伯は、日本水墨画の秀作「松林図」を残した。

戦乱の世が続く中、大名や大商人は、他方で心の安らぎを求め、能楽や茶の湯の深い味わいにひたった。
堺(大阪府)の千利休は、秀吉に仕えて、質素なわび茶の作法を完成させた。


庶民の生活と文化

この時代には、庶民のあいだでも、現世を楽しむ開放的な文化が花開いた。
人々は色とりどりの衣服を身にまとい、小唄や踊りに興じた。
庶民は麻にかわって木綿の衣服を着るようになり、小袖が広まった。

17世紀の初めには、出雲の阿国という女性が始めた阿国かぶきが大流行し、のちの歌舞伎へと発展していった。
また、琉球から伝わった楽器をもとに三味線がつくられ、これに合わせて語る浄瑠璃が広まった。
浄瑠璃は、その後、人形あやつりと結びついて、人形浄瑠璃となった。


南蛮文化

日本と西洋の交流が始まり、南蛮貿易や宣教師たちの布教活動がさかんになると、天文学、医学、航海術などの学問・技術が伝えられた。
西洋の活版印刷術も伝わり、キリシタン関係の書物の印刷に使われたが、日本語には合わず定着しなかった。
また、西洋画の技術を用いて南蛮屏風がえがかれたほか、南蛮風の衣服を身につける人もあらわれた。

パン、カルタ、タバコといった、現在でも身近な品々と言葉が日本に入ってきたのもこのころである。
このような西洋から伝わった文化を南蛮文化とよぶ。
南蛮文化は、この時代の文化に大きな影響をあたえた。



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考えてみよう
右のポルトガル語の言葉は、いずれもこのころに伝わった品々である。
日本語の何にあたるか考えてみよう。
(ポルトガル語)
Pao → パン
Carta → カルタ
Tabaco → タバコ

Castella ヒント・お菓子
Capa ヒント・着るもの
Botao ヒント・服の一部
Orgao ヒント・楽器