かな文字の発達  読み物コラム

○ 漢字の受け入れ ○

今日、日本語を書くためには、ふつう漢字と平がな、片かなが使われる。
漢字は中国から伝わった文字で、
平がな、片かなは、漢字をもとにして、日本でつくられた文字である。

では、漢字はいつごろ日本に伝わったのだろうか。
日本でこれまで知られている漢字で最も古いのは、2世紀ごろの土器に書かれたものである。
また中国の歴史書には、
3世紀のころ、わが国と中国とのあいだで、
手紙のやりとりがあったとする記事が出てくる。
それを信用してよければ、3世紀にはすでに漢字が受け入れられていたことになる。



○ 漢字で日本語を書く

平安時代にかなが発明されるまでのあいだ、日本人は漢字以外の文学を持っていなかった。
だから、日本語をあらわすのにも、はじめは漢字を使うしかなかった。
漢字は、意味をあらわす文字(表意文字)だが、もちろん音(読み方)をもっている。
そこで当時の日本人は、意味をはなれて、音を使って日本語を書く方法をくふうした。

たとえば、日本語の「ひと(人)」という言葉を漢字で書き表すのに「比登(ひと)」と書いたりした。
このような漢字の使い方は「万葉集」によくみられることから、万葉がなとよぶ。


○ 万葉がなから平がな片かなへ

万葉がなから、平がな片かなが生まれる。
平がなは、万葉がなとして使われる漢字の形を崩し、書きやすくすることから生まれた。
現在まで残っている最古の平がなで書かれた文書は、9世紀末ごろのものである。

平がなは、日本語の音をあらわす言葉としてだけ使われ、
もとの漢字が持っていた意味とは、まったくつながりを持たなかった。

そして10世紀になると、
平がなは漢字と並ぶ文字として認められ、
平がなで書かれた豊かな文学が花開いていった。

片かなは、漢字の字画を省くことによって生まれた。
漢文の中の漢字の読み方を示すために、
しばらく万葉がながかたわらに書き入れられていたが、
画数の多い万葉がなを書き入れるのは不便だったので、その字画を省略した形の片かなに変わった。

やがて片かなは、漢字の振りがなとしてばかりでなく、
漢字に交じって独立した文字としても使われるようになる。
漢字とカタカナが交じった古い文章の例では、9世紀前半のものがある。

中国の漢字から、日本語を書きあらわすために
平がなと片かなを生み出したことは、その後の日本らしい文化の発展の基礎になった。