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第三節 律令国家の成立
○13 奈良時代の律令国家

地方の政治

律令制度のもとで、地方は60あまりの国に分けられ、国ごとに朝廷から国司が派遣された。

国の役所が置かれたところは国府とよばれた。
国司は、地方の豪族を郡司や里長として起用して、国を治めた。
中央と地方を結ぶ大きな道路には駅が設けられ、役人が乗りつぐ馬が用意された。

九州には大宰府を置き、九州の取りまとめや、外交の窓口、さらに沿岸防備の役目を与えた。
東北地方には多賀城と秋田城を築き、蝦夷に備えた。


歴史書の編纂

律令国家のしくみが整うと、国のおこりや歴史を書物にまとめようとする動きがおこった。
まず、『古事記』がつくられ、民族の神話と歴史がすじみち立った物語としてまとめられた。
ついで、『日本書紀』が完成し、国家の正史として、歴代の天皇の系譜とその事蹟が詳細に記述された。

二つの歴史書は、天皇が日本の国を治めるいわれを述べたものであるが、
その中で語られる神話、伝承からは、当時の人々の信仰やものの考え方を知ることができる。

さらに朝廷は、国司に命じて、
地方ごとに伝説や地理、産物を調べて『風土記』をつくらせ、各地の様子を記録させた。

聖武天皇と大仏建立

聖武天皇の治世になると、人口の増加に対して口分田の用地が不足してきた。

そこで、朝廷は開墾を奨励し、
743(天平15)年には墾田永年私財法を出して、
新しく開墾した土地を永久に私有地にすることを認めた。
この法律は、人々の開墾への意欲をかき立て、耕地の拡大につながった。

しかし他方で、
有力な貴族や寺院、地方豪族などはこの法律を利用し、
口分田から移り住んだ農民を集めて私有地を広げるようになった。
そのため、班田収授法の厳格な運用は、しだいに行われなくなっていった。

聖武天皇は、国ごとに国分寺と国文尼寺を置き、
日本のすみずみにまで仏教の心を行き渡らせることによって、国家の平安をもたらそうとした。

都には全国の国分寺の中心として東大寺を建て、大仏の建立を命じた。
大仏開眼の儀式は、インドの高僧を招いてはなやかに行われた。
これらの事業は莫大な資金を必要としたが、人々は協力して完成させた。

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やってみよう
現在の都道府県の境界が入った白地図に、奈良時代の国名とその範囲を書きこんで見よう。