第4節 経済大国・日本の歴史的使命
人物コラム
昭和天皇

○ お人がら ○

昭和天皇は、1901(明治34)年4月29日、皇太子(のちの大正天皇)の第一子として誕生した。
御名は迪宮裕仁(みちのみやひろひと)。
幼少のころから、きわめてまじめで誠実なお人がらだった。

即位ののち、1931(昭和6)年11月、
九州の鹿児島から軍艦に乗って帰京されるとき、
天皇が夜になって暗くなった海に向かって一人挙手の礼をされているのを、
お付きの者が見つけ不思議に思った。

そこで海のほうを見ると、遠く暗い薩摩半島の海岸に、
天皇の軍艦をお見送りをするために住民たちが焚いたと思われるかがり火の列が見えた。

天皇はそれに向けて答礼されていたのである。



○ 昭和天皇とその時代 ○

昭和天皇が即位された時期、日本は大きな危機を迎えていた。
天皇は各国との友好と親善を心から願っていたが、時代はそれとは異なる方向に進んでいった。
しかし、天皇は、たとえ意に反する場合でも、
政府や軍の指導者が決定したことは認めるという、立憲君主としての立場を貫かれた。

ただ、天皇がご自身の考えを強く表明し、事態を収めたことが2度あった。
1936(昭和11)年の二・二六事件のときで、
もう一つは、1945(昭和20)年8月、終戦のときであった。
どちらも君主としての強い自覚によってなされた行動だった。


○ 国民とともに歩く ○

終戦直後、天皇と初めて会見したマッカーサーは、天皇が命乞いをするためにやってきたと思った。
ところが、天皇の口から語られた言葉は、
「私は、国民が戦争遂行にあたって行った
すべての決定と行動に対する全責任を負う者として、
私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためお訪ねした」というものだった。

マッカーサーは、
「私は大きい感動にゆすぶられた。
死をもともなうほどの責任、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引き受けようとする、
この勇気に満ちた態度は、私の骨の髄までもゆり動かした」(マッカーサー回想記)と書いている。

敗戦後、天皇は日本各地を巡幸され、
復興にはげむ人々と親しく言葉をかわし、はげまされた。
激動する昭和という時代を、一貫して国民とともに歩まれた生涯だった。