第2節 第二次世界大戦の時代
○ 68 共産主義とファシズムの台頭

二つの全体主義

ヨーロッパで生まれた二つの政治思想が、
1920年代から1930年代にかけて台頭し、世界に広まった。
一つは、マルクスの思想に始まり、ロシア革命を引きおこした共産主義である。
もう一つは、ドイツとイタリアを中心とし、他のヨーロッパ諸国の一部にも波及したファシズムである。

どちらも全体主義の一種で(注1)、
各地に革命運動を生み出し、独特の政治体制をつくりあげ、20世紀の歴史を大きく動かした。


共産主義

共産主義の考え方では、
労働者階級が団結して革命を起こし、
資本家を追放して経済を計画的に運営し、
階級による差別のない理想社会を建設することが目標にかかげられた。
それを実現するための手段が、共産党にすべての権力を集中する一党独裁体制だった。

ロシア革命後、共産主義国となったソ連では(注2)、レーニンの死後、スターリンが権力をにぎった。

スターリンは、重工業の建設、農業の集団化を進め、
秘密警察や強制収容所を用いて、数百万の人々を処刑した。
ソ連は無階級社会の実現という理想をかかげていたが、
現実には苛酷な強制労働と膨大な数の犠牲者を生み出した。

ソ連は世界中に共産主義を広める拠点でもあった。
そのため、1919年に、コミンテルン(注3)とよばれる指導組織が作られた。
世界各国の共産党は、コミンテルンの支部と位置付けられ、
モスクワの本部の指示を実行し、各国の政府を打倒しようとした。(注4)

ファシズム

イタリアでは、1922年に、
ムッソリーニのファシスト党による
独裁政治が始まり、1935年にエチオピアに侵攻した。

ファシスト党にみられるような
独裁的な軍国主義の傾向をファシズムとよび、
世界恐慌後、経済的に苦しむ国々に広がった。

ドイツでは、
第一次世界大戦後、巨額の賠償金を背負わされ、
激しい物価高にみまわれて、国民の不満が高まった。

やがて、ヒトラーがナチス党(注5)を率いて登場し、
民族の栄光の回復をスローガンにかかげると、人々はしだいに彼にひきつけられていった。

ナチス党は、1929年に始まった世界恐慌による
国内の混乱に乗じて、1932年には国会の第一党に踊り出た。
翌年、ヒトラーは政権をにぎって、たちまち独裁体制をつくりあげた。

ナチスにとっていちばん大切なことは人種であった。
ゲルマン民族の純血を守るという理念のためには手段を選ばなかった。
とくにユダヤ人に対しては、徹底的な迫害を行った。
ヒトラーはスターリンと同様に、秘密警察や強制収容所を用いて、大量の殺戮を行った。
二つの全体主義国歌は、たがいに対立しつつも、相手から支配のやり方を学び合っていた。


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(注1)全体主義=
国家や民族全体のものとされる目的を実現するために、
個人の自由を否定し、全体の自由を最優先するあり方。

(注2)ソ連=ソビエト社会主義共和国連邦の略称。
ソビエトを基礎とする多数の社会主義共和国からなる連邦国家

(注3)コミンテルン=共産主義インターナショナルの略称。
ソ連はのちに、第二次大戦中の1943年、英米などと連合するため、これを解散した。

(注4)日本でも、日本共産党がコミンテルン日本支部としてひそかに創立された。
1925年、日本政府はソ連と国交を結んだが、
それによって国内に破壊活動がおよぶことを警戒し、
同年、私有財産制度の否認などの活動を取りしまる治安維持法を制定した。

(注5)ナチス党=正式名称は、国家社会主義ドイツ労働者党



やってみよう
二つの全体主義の共通点とちがいを表にまとめてみよう