第2節 第二次世界大戦の時代
○ 74 大東亜戦争(太平洋戦争)

真珠湾攻撃

1941(昭和16)年12月8日、日本海軍はアメリカの
ハワイにある真珠湾基地を空襲し、アメリカ太平洋艦隊に全滅に近い打撃をあたえた。
この作戦は、アメリカの主力艦隊を撃破して、太平洋の制海権を獲得することをめざしたものだった。
同日、日本陸軍はマレー半島に上陸し、イギリス軍を撃破しつつシンガポールをめざして進んだ。

日本は米英に宣戦布告し、
この戦争は「自存自衛」のための戦争であると宣言した。
日本政府は、この戦争を大東亜戦争と命名した(注1)。
ドイツ・イタリアもアメリカに宣戦布告し、第二次世界大戦は、
日・独・伊の枢軸国と、米・英・蘭・ソ・中の連合国が世界中で戦う戦争へと拡大した。

対米英開戦をニュースで知った日本国民の多くは、その後、次々と伝えられる戦果に酔った。
他方、アメリカ政府は、日本の交渉打ち切りの通告が
真珠湾攻撃よりも遅れたのは、卑劣な「だまし討ち」であると自国民に宣伝した。
日本の真珠湾攻撃は、軍事的には成功したが、今まで戦争に反対していた
アメリカ国民を「リメンバー・パールハーバー」を合言葉に、対日戦争に団結させる結果をもたらした。


暗転する戦局

日本の緒戦の勝利はめざましかった。
マレー半島に上陸した日本軍は、
わずか70日で半島南端のシンガポールにある英軍の洋裁を陥落させた。
連合国側の準備が整わなかったこともあり、
たちまちのうちに日本は広大な東南アジアの全域を占領した。

しかし、1942(昭和17)年、ミッドウェー海戦で
日本の連合艦隊はアメリカ海軍に敗れ、航空母艦4隻を失った。
これを皮切りに米軍は反撃に転じた。
日本は制海権を失い、補給路を絶たれ、輸送船はアメリカの潜水艦により次々と沈められた。
日米の生産力の差もしだいに表面化し、日本軍はとぼしい武器・弾薬で
苦しい戦いを強いられたが(注2)、日本の将兵は敢闘精神を発揮してよく戦った。



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注1、大東亜戦争=戦後、アメリカ側がこの名称を禁止したので太平洋戦争という用語が一般化した。

注2、ヨーロッパでも資源にとぼしいドイツは、
大きな生産力を背景に攻勢に転じたアメリカに対し、しだいに劣勢となっていった。
1943年、
連合軍が反撃を開始すると、同年、イタリアが降伏し、
ドイツも東と西から攻撃され、追いつめられていった。



やってみよう
日米の生産力と軍事力の差を調べ、比較する表をつくってみよう。