第3節 日本の復興と国際社会
○ 78 占領下の日本と日本国憲法

占領の開始

1945(昭和20)年8月末、アメリカ軍を主体とする連合国軍による日本占領が始まった。(注1)
アメリカの占領目的は、日本がふたたびアメリカの脅威にならないよう、国家の体制をつくり変えるこどった。
日本政府は存続したが、その上にマッカーサー司令官が率いる連合国軍総司令部(GHQ)が君臨し、その指令を日本政府が実行した。

ポツダム宣言にもとづき、陸海軍は解散させられた。
外地にいた軍隊は武装解除され、日本への復員が始まった。

1946(昭和21)年からは、東京裁判極東国際軍事裁判)が開かれ、戦争中の指導的な軍人や政治家が、「平和に対する罪」などをおかした戦争犯罪者(戦犯)であるとして裁かれた。
またGHQは、戦時中に公的地位にあった者など、各界の指導者約20万人を公職追放した。

GHQは、日本政府に対し、婦人参政権の付与、労働組合法の制定、教育制度の改革などの五大改革指令を発した。
民主化とよばれたこれらの改革のいくつかは、すでに日本政府が計画していたものと合致し、矢つぎばやに実行されていった。
また経済の面では、戦争中に大きな影響力をもったとして財閥が解体され、農村では農地改革が進められた(注2)。

注1、ただし、沖縄や小笠原諸島などでは、アメリカ軍による直接統治が行なわれた。

注2、地主のもつ一定割合以上の小作地を国家が強制的に買い上げて、小作農に安くあたえ、自作農を増やした。



日本国憲法

GHQは、大日本帝国憲法の改正を求めた。
日本側では、すでに大正デモクラシーの経験があり、憲法に多少の修正をほどこすだけで民主化は可能だと考えていた。
しかし、GHQは1946年2月、わずか約1週間でみずから作成した憲法草案を日本政府に示して、憲法の根本的な改正を強くせまった。

政府はGHQが示した憲法草案の内容に衝撃を受けたが、それを拒否した場合、天皇の地位がおびやかされるおそれがあるので、やむをえず受け入れた(注3)。
GHQの草案にもとづいて政府は憲法草案をつくり、帝国議会の審議を経て、1946年11月3日、日本国憲法が発布された(施行は1947年5月3日)。

日本国憲法は、世襲の天皇を日本国および日本国民統合の象徴と定めた。
さらに国民主権をうたい、国会を国権の最高機関とし、議院内閣制を明記するとともに、基本的人権に関する規定が整備された。
また、国際紛争を解決する手段としての戦争の放棄と、そのための戦力をもたないことを定めた。


注3、交戦権の否認(のちの9条)などが書かれており、国家としての主体性を否定するものと、当時の指導者は受けとめた。




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GHQのおもな改革
五大改革指令
1、婦人の解放 2、労働組合の結成 3、教育の自由主義化 4、圧政的諸制度の撤廃 5、経済の民主化

経済の改革
財閥解体、農地改革、労働組合法、労働基準法、独占禁止法

教育の改革
教育基準法、学校教育法(6.3.3.4制と義務教育9年制の導入)

政治の改革
新選挙法、天皇の人間宣言、公職追放、日本国憲法(国民主権・基本的人権の尊重・平和主義の3大原則)




やってみよう

占領下で使用を禁止された言葉や、報道することを禁止されたテーマについて、予想をたてたうえで調べてみよう。