第一節 日本のあけぼの
○2 縄文文化

豊かな自然の恵み

約1万年前に
氷河時代が終わると、氷がとけて海水面が上がり、
ふたたび日本の地形は今と同じ海上の列島となった。

気温が上昇し、暖流が日本海に流れ込んだので、
かつて草原だった日本列島は、たちまち、全土が緑の森林でおおわれるようになった。

このころ、南方からも日本人の祖先となる人々がやって来た。
ユーラシア大陸の南側のルートを東に進んで、
東南アジアに住み着いた人々は、島から島へと丸木舟で移動する航海術を身につけた。
やがて人々は黒潮(日本海流)に乗って日本列島にたどり着いた。
アフリカを出てから、はるかな旅の末に、二つのアジア人の流れは、この列島でふたたび合流した。

豊かな日本の自然は、豊富な木の実や川魚を育み、
イノシシ、シカ、マガモ、キジといった山の幸、カツオ、マダイ、スズキ、貝類といった海の幸をもたらした。
北海道や東北などでは、豊富なサケやマスを利用した生活文化が発達した。
日本列島は食料にめぐまれていたので、人々は大規模な農耕や牧畜を始めるにはいたらなかった。

縄文土器の時代

今から1万数千年も前から、日本列島の人々はすでに土器をつくりはじめていた。
これは、世界で最古の土器の一つである。
この時代の土器は、表面に縄目の文様がつけられたものが多いことから、縄文土器とよばれている。
それらの多くは深い鉢で、煮炊きなどに用いられた。
男たちは小動物の狩りと漁労に出かけ、女たちは植物の採集と栽培にいそしみ、年寄りは火のそばで煮炊きの番をするといった生活の場面が想像される。

縄文土器が用いられていた、1万数千年前から紀元前4世紀ごろまでを縄文時代とよび、このころの文化を縄文文化とよぶ。
当時の人々は、数十人程度の集団で、小高い丘を選んで生活していた。
住まいは地面を掘って床をつくり、柱を立てて草ぶきの屋根をかけた。
竪穴住居とよばれるものだった。
人々が貝殻などの食べ物の残りかすをすてた跡である貝塚からは、土器の破片や石器が発見され、当時の生活のようすをうかがうことができる。
青森県の三内丸山遺跡からは、約5千年前の大きな集落の跡が見つかっている。

縄文時代の生活は、狩猟・採集を中心としたものだったが、一部ではクリ、マメ、ソバなどの栽培や素朴な稲作が始まり、カキの養殖も行われていた。。
また、人々は自然の豊かなめぐみを祈って神殿をつくり、女性をかたどった土偶をつくった。
自然と調和して生活した約1万年間の縄文時代には、日本人のおだやかな性格が育まれ、多様で柔軟な日本文化の基礎がつくられたという側面もある。

考えてみよう
上の写真や図をよく見て、縄文時代の人々の生活を想像してみよう。