第一節 日本のあけぼの
○3 文明の発生と中国の古代文明

世界の新石器時代の始まり

約1万年前に氷河期が終わると、地球は温暖化した。
気候の変化によって植物の分布が変わり、大型の動物も減った。
こうした環境の変化の中で、野生の植物を栽培したり、動物を育てるようになり、農村・牧畜が始まった。

また、この時代になると、
人々は表面を磨いて性能を高めた
磨製石器(新石器)を用いるようになり、土器を使うようになった。

こうした時代を新石器時代という。


文明の発生

エジプトやアジアの
大河の周辺で行われた農耕は、
やがて大規模な灌漑工事をともなうものに発展し、
土器や磨製石器だけではなく、青銅器や、少し遅れて鉄器も用いられるようになった。

農耕によって多くの人口を養えるようになると、
小さな集団に分かれていた人々が数万人の規模で集まり住む都市が生まれた。
多数の人々を動かす灌漑工事には、工事を指揮する指導者が必要だった。
彼らは、戦い、祭りなども指揮した。
指導者は、広い地域を統合するにつれて、やがて王となっていった。
王のもと、税が集められ、また記録のための文字が発明されて、書記が雇われた。
こうして国家とよばれる仕組みが整えられていった。
このように、金属器、都市、文字などを備えた社会の状態を文明と呼ぶ。

エジプト、メソポタミア、インド(インダス川流域)、中国の各地域に、
今からおよそ5000年前から3500年前にかけて、文明が生まれた。

中国の古代文明

中国北部の黄河流域には
早くから漢民族が住み着き、農耕や牧畜を行っていた。

約3500年前には殷という王朝がおこり、
青銅器を祭器として用い、漢字の原型がつくられた。
殷が滅び、かわって周の時代になると、鉄製の兵器や農具が使われるようになった。
周がおとろえると国内は分裂し、その後、戦乱の時代が長く続いた。
この時代には、多くの思想化があらわれ、政治のあり方を説いた。
孔子はその一人で、その教えは儒教とよばれた。

中国を初めて統一したのはの始皇帝で、紀元前3世紀のことだった。
始皇帝は、重い刑罰で秩序を守るべきとする考えに従って政治を行った。
この時代には、文字や貨幣が統一され、北方の遊牧民の侵入に備えて万里の長城も整備された。
しかし、彼の政治はあまりにきびしいものだったため、秦はすぐにほろんでしまった。

かわって中国を統一したは、紀元前後400年にわたって栄え、大帝国を築いた。

同じころ西洋で栄えていたローマ帝国とのあいだに
交易路が開かれ、中国の絹がローマに、西方の馬やブドウが中国に伝えられた。
この交易路をシルク・ロード(絹の道)とよぶ。

インドの釈迦がおこした仏教も、
紀元前1世紀ごろ、この道を伝わって中国にもたらされた。


考えてみよう
P22の地図を参考に、文明が起こった地域の共通点を考えて、なるべくたくさんあげてみよう。