第二節 武士の政治の動き
○25 室町の文化

北山文化と東山文化

室町時代には、幕府が京都に置かれたこともあって、
公家と武家の文化がとけ合った、簡素で深みのある文化が生まれた。
これに禅宗の影響や、勘合貿易によって伝わった中国の文化などが加わって、彩りを添えた。

3代将軍足利義満が京都の北山に建てた金閣は、
さまざまな文化が融合したこの時代の特質をよく示している。

義満の保護を受けた観阿弥と世阿弥の父子は、
平安時代から民間の娯楽として親しまれた猿楽、田楽を、能楽として大成した。
能や狂言は、武家や庶民のあいだに浸透していった。
義満のころの文化を北山文化とよぶ。

8代将軍義政は、東山に銀閣を建てて、風雅な生活を送った。
この時期の、わび・さびとよばれる落ち着いた雰囲気をもった文化を東山文化とよぶ。

建築では、
畳や床の間、違い棚などを備えた書院造が発達し、
禅宗寺院では枯山水とよばれる石を用いた庭園がつくられた。
茶の湯や生け花もこのころ生まれた。

また、宋・元の作品に学んで、水墨画がえがかれた。
水墨画は、墨一色で表現する絵画である。
禅僧の雪舟は、明に渡って水墨の技法を学び、
帰国後、山口で筆をふるって、日本の山水画の確立者となった。
のちには、水墨画に大和絵の技法を取り入れた狩野派があらわれ、活躍した。

今日に伝わる生活文化

民衆のあいだでも、集団で楽しむ文化がおこった。
能や狂言、茶の湯が親しまれ、和歌の上の句と下の句を
別々の人がつくってまとめていく連歌が、村の寄合などで流行した。
また、お伽草子とよばれる絵本が作られ、
「浦島太郎」や「一寸法師」の物語が、武家や民衆の人気を博した。

戦乱を逃れた公家や僧によって、
地方に文化が広められたのもこの時代の特色である。

雪舟のいた大内氏の山口など、
各地の城下町が栄え、下野(栃木県)の足利学校は学問の中心となった。
各地の寺院では、武家や庶民の子供の教育も始まった

このように室町時代は、民衆や地方へも文化が広まり、
今日に伝わる衣食住の生活文化が形づくられた時代だった。

味噌やしょう油の使用、村祭りや盆踊りといった年中行事なども、このころ始まったものである。


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室町時代には、中国から輸入される美術品は唐物とよばれ、珍重された。

庭づくりには河原者とよばれる差別されていた人々が力を発揮した。

やってみよう
みなさんの住んでいる地域で、室町時代にさかのぼる年中行事があるか調べてみよう。
また、その起源や地域独特のならわしなどについて調査してみよう。