第3節 立憲国家の門出
読み物コラム
○朝鮮半島と日本

○ 日本の独立と朝鮮半島 ○

東アジアの地図を見てみよう。
日本はユーラシア大陸から少しはなれて、海にうかぶ島国である。
この日本に向けて、大陸から一本の腕のように朝鮮半島が突き出ている。
両国のこの地理的な関係は、長い歴史のうえで重要な意味を持ってきた。

古来、朝鮮半島からは、中国などの進んだ文明が日本に伝えられた。
しかし同時に、朝鮮半島に日本の安全をおびやかす勢力がおよんだこともあった。
日本は、中国と朝鮮半島の動向に注意を払わねばならなかった。
日本が古代律令国家を形成したのもむ、東アジアの中で自立することをめざしたものだった。

鎌倉時代に、元寇の拠点となったのも朝鮮半島だった。
反対に、豊臣秀吉が、朝鮮半島に大軍を送ったこともあった。
江戸時代には、対馬藩を通じて、徳川幕府と朝鮮との良好な関係が続いた。



○ 朝鮮の近代化と日本 ○

明治新政府は、政権樹立後、すぐに朝鮮と国交を結ぼうとした。
しかし、中国の清朝に朝貢していた朝鮮は、外交関係を結ぶことを拒絶した。

朝鮮を開国させた1876(明治9)年の日朝修好条規は、
その第一条で、「朝鮮国は自主の国」であるとうたった。

これは清朝の影響から朝鮮を切りはなすねらいがあった。

清朝以上におそろしい大国は、
不凍港を求めて東アジアに目を向けはじめたロシアだった。
ロシアは1891年にシベリア鉄道の建設に着手し、その脅威はひたひたとせまってきた。

朝鮮半島が、当方に領土を拡大しつつあるロシアの支配下に入れば、
日本を攻撃する格好の基地となり、島国の日本は、自国の防衛が困難になると考えた。

そこで日本は、朝鮮の開国後、
近代化を始めた朝鮮に対して軍制改革を援助した。
朝鮮からも視察団がやってきて、明治維新の成果を学ぼうとした。
朝鮮が他国におかされない国になることは、日本の安全保障にとっても重要だった。


○ 朝鮮をめぐる日清の対立 ○

いっぽう、清は、東アジアの情勢を別の見方でとらえていた。
1879年、長いあいだ、清にも朝貢してきた琉球が沖縄県となり、
日本の領土に組み込まれたことは、清朝にとって大きな衝撃だった。
その後、清仏戦争に敗れて、もう一つの朝貢国ベトナムがフランスの支配化に入った。

朝貢国が次々と消滅していくことは皇帝の徳の衰退を意味し、
中国を中心とする東アジアの秩序が崩壊する危機を示すものだった。

そこで清は、最後の有力な朝貢国である朝鮮だけは失うまいとし、日本を敵とみなすようになった。
日本が、日清・日露の二つの戦争を戦うことになる背景には、このような東アジアの国際関係があった。