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第二節 江戸は幕府の政治
○34 鎖国下の対外関係

出島の貿易

長崎の出島では、オランダ船が、
中国から生糸、絹織物、漢文の書物を、
ヨーロッパからは時計や書物をもたらした。

日本からは、はじめのころは、銀や銅が、のちには、伊万里焼などが輸出された。
幕府は、オランダ商館長に「オランダ風説書」を提出させ、海外の情報を得た。
長崎には中国船も来航して交易を行った。

朝鮮・琉球・蝦夷地

幕府は、家康のとき、対馬の宗氏を通して、
秀吉の出兵で断絶していた朝鮮との国交を回復した。
両国は対等の関係を結び、朝鮮からは、
将軍の代がわりのたびに朝鮮通信使とよばれる使節が江戸を訪れ、各地で歓迎された。

また、朝鮮の釜山には宗氏の倭館が設置され、
約500人の日本人が住んで、貿易や情報収集にたずさわった。

17世紀の初め、
薩摩藩は兵を送って、琉球の王朝である尚氏を従わせた。
琉球は、幕府にも臣下の礼をとった。
その一方で、琉球は
新しく中国に成立した清にも朝貢したが、
幕府は、琉球を仲立ちとする清との貿易の利益のために、これをとがめなかった。

蝦夷地(北海道)の南部を支配した松浦藩は、
漁労に従事するアイヌと交易し、海産物や毛皮などを入手した。

アイヌは、千島列島や樺太(サハリン)、
さらに中国の東北部などとも交易をしていたので、
日本には彼らを通して、蝦夷錦とよばれる中国産の織物も流入した。

アイヌは、松浦藩の不公正な交易方針に反発し、
シャクシャインを指導者とする反乱をおこしたこともあった(シャクシャインの反乱)。


鎖国化4つの窓口

このようにして、鎖国下の江戸時代には、
長崎、対馬、薩摩、松浦の、4つの窓口が外国に開かれていた。
それらの窓口を通して他民族との貿易も行われ、世界の情報も入ってきた。

幕府は貿易を統制し、利益を独占していたが、
ヨーロッパからは新しい学問や文化も日本に入り、日本の国内でもしだいに受け入れられていった。


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やってみよう
4つの窓口ごとに、輸入品や輸出品を調べ、リストをつくってみよう。