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第一節 武家政治の始まり
○21 鎌倉の文化

新しい仏教

12世紀には、仏教が貴族の世界をこえて武士や庶民のあいだにも広がりはじめた。
浄土宗を開いた法然は、念仏(南無阿弥陀仏)を唱えさえすれば、だれでも極楽往生が約束されると説いた。
弟子の親鸞は、法然の教えを発展させ、罪深い悪人こそ阿弥陀仏が救おうとしている人々であるとして、浄土真宗(一向宗)を開いた。
いっぽう、日蓮は、題目(南無妙法蓮華経)さえ唱えればそのまま仏になれるし、国家も救われると説いて、日蓮宗(法華宗)を開いた。
これらの教えは、時代とともに民衆のあいだにじょじょに広がっていった
また、中国の宋からは禅宗が伝わり、栄西は臨済宗を、道元は曹洞宗を開いた。
禅宗は、ひたすら座禅することによって悟りを得ようとする教えで、鎌倉武士たちのあいだに広まった。
このような新仏教の動きに対して、天台宗や真言宗などの旧仏教もあらためて戒律を重んじ、勢力の引きしめに努めた。

鎌倉時代の文学

源平合戦をえがいた『平家物語』は、盲目の琵琶法師によって各地に語り広められ、文字を知らない人々のあいだにも受け入れられた。
この物語は、平氏の繁栄と没落をえがき、戦いの中で苦悩する人々の姿を伝えた。
いっぽう、公家のあいだでは和歌が好まれ、藤原定家らによって『新古今和歌集』が編纂されて、西行などのすぐれた歌人の作品が収められた。
随筆では、鴨長明が『方丈記』を、吉田兼好が『徒然草』を著し、ともに時代のはかなさと人生の無常をつづった。

鎌倉時代の美術

彫刻では、武士の気風を繁栄した、写実的で力強い作品が生まれた。
仏像を制作した運慶の代表作は、興福寺にある無著・世親像で、それぞれ威厳とやさしさの表情をたたえた、すぐれた肖像彫刻となっている。
京都の三十三間堂に残る、婆藪仙人(ばすせんにん)や摩和羅女(まわらにょ)の像は、年老いた日本人の顔にうかぶ、仏をうやまう心をあらわしている。
運慶たちは、天平時代の古典彫刻を研究した成果を踏まえて、作品に写実性と動きをあたえ、仏像彫刻に新しい風を吹きこんだ。

絵巻物にも、合戦のようすや寺社の縁起、高僧の伝記なとせを題材に、すぐれた作品が生まれた。
「平家物語絵詞」では、火事や行列の場面がみごとに表現されている。
平氏の焼き討ちにあった東大寺南大門は、宋の技術を取り入れて再建され、雄大で力強い建築物として今に残されている。

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やってみよう
鎌倉時代の美術作品を一点選んで、作者やつくられた経緯について調べてみよう。