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第二節 武士の政治の動き
○26 応仁の乱と戦国大名

応仁の乱

室町幕府の3代将軍足利義満の死後、
しだいに幕府の力は弱まり、統制力を失っていった。

将軍家にかわって守護大名が勢力を広げて、
なかでも細川氏と山名氏は、幕府の実権をにぎった。
8代将軍義政のとき、
将軍家と管領家の後継ぎをめぐる対立から、
1467(応仁元)年、応仁の乱が始まった。

全国の武士が
細川の東軍と山名の西軍に分かれ、
京都をおもな戦場として11年も戦いが続いた。
その結果、京都は荒れ果て、大半が焼け野原になってしまった。

応仁の乱をきっかけに、将軍の権威はおとろえた。
そればかりか、守護大名の実権も家臣にうばわれるようになった。
こうして、社会全体に、身分の下の者が実力で上の者をたおす下克上の風潮がみられるようになった。

山城(京都)では、
地侍らが守護を追放し8年間の自治を行う、山城国一揆がおこった。

加賀(石川県)では、浄土真宗の信徒らが
守護大名の支配に反抗して一向一揆をおこし、信徒らによる自治は約100年間続いた。

戦国大名の出現

下克上の風潮に乗って、実力のある家臣や地侍は
独自の力で守護大名をたおし、一国の支配を行う領主となった。

これが戦国大名である。

戦国大名は荘園や公領を自分の領地とし、農民から直接年貢を集めた。
また、領国内の武士を家来に組み入れて強力な家臣団をつくり、ほかの大名との戦いに備えた。

戦国大名は、守りのかたい山や丘に城を築いて、
ふもとに屋敷をかまえ、その周囲に家臣団や商工業者を住まわせて、城下町とした。

領国を豊かにするために、
大規模な治水工事をおこし、
耕地を広げて農業をさかんにし、
鉱山の開発や商工業の保護、交通制度の整備などにも力をそそいだ。
家臣の取りしまりや、農民の支配のために、独自の法律である分国法を定めた例もあった。

やがて、力をたくわえた戦国大名の中から、
京都にのぼり、天皇の権威をかりて天下を統一しようとする者があらわれた。

朝鮮と琉球

朝鮮半島では、14世紀に李成桂が高麗をたおし、朝鮮国(李氏朝鮮)を建国した。
朝鮮も明と同じく日本に倭寇の禁止と通交を求めてきた。
幕府がこれに応じた結果、日朝貿易が始まった。
しかし16世紀に入ると日朝間の摩擦がおき、朝鮮との貿易がふるわなくなった。

沖縄では、15世紀の前半、
尚氏が3つの勢力を統一して、琉球王国をつくりあげた。

琉球王国は首里を都とし、日本や明と国交を結んだ。
また、遠く東南アジアへも船を出して中継貿易に活躍し、反映した。


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やってみよう
室町幕府の守護大名と戦国大名をくらべて、移り変わりを表にしてみよう。