第三節 律令国家の成立
○14 飛鳥、天平の文化

飛鳥文化

聖徳太子や蘇我氏が仏教を深く信仰したこともあり、日本で初めて仏教を基礎とする文化がおこった。
これを飛鳥文化とよぶ。

聖徳太子が建てた法隆寺は、今に残る最古の木造建築であり、調和のとれた優美な姿の五重塔や金堂が、中国では見られない独特の配置で立ち並んでいる。
法隆寺には、当時の優れた仏教彫刻も残されている。
金堂の本尊にあたる釈迦三尊像は止利仏師の作といわれ、百済観音像は神秘的な微笑をたたえた美しい像である。
工芸品では、仏具として玉虫厨子(たまむしのずし)があり、扉や台座にはたくみな絵画表現が見られる。


遣唐使の派遣

中国で唐がおこると、朝廷は遣唐使を派遣し、文化の移入に努めた。
遣唐使の派遣は、894(寛平6)年の中止まで、十数回にわたって行われた。
当時は航海術が未発達で、船が途中で遭難することがたびたびあった。
唐に渡った阿倍仲麻呂は帰国できないまま、生涯、唐の皇帝に仕えた。
また、唐の高僧の鑑真は、5度の渡航の失敗と失明を乗り越えて日本に渡り、仏教の戒律を伝えた。


天平文化

奈良時代には、仏教は朝廷の保護を受けていっそう発展した。
平城京には大きな寺院が建てられ、遣唐使を通じてもたらされた
唐の文化の影響を取り入れながら、高い精神性をもった仏教文化が花開いた。
この文化を、聖武天皇のころの年号をとって天平文化とよぶ。

天平文化を代表する建築には、東大寺の法華堂、唐招提寺などがある。
また、校倉造という方法で
建てられた東大寺の正倉院には、
聖武天皇の愛用品が多数納められて今に伝わっている。


その中には、中国や東アジア、中央アジアなどとの結びつきを示す工芸品も多い。

仏教彫刻では、ひきしまった少年の顔をした興福寺の阿修羅像、気品あふれる東大寺法華堂の日光・月光菩薩像、厳しい面持ちの東大寺戒壇院の四天王像などの傑作が残されている。
また、東大寺の大仏は銅でつくられた世界最大の仏像である。

文学では、日本古来の和歌を集めた『万葉集』が編纂され、飛鳥時代から奈良時代におよぶ約130年間につくられた、4500首あまりの和歌が収められた。
その作者は、天皇から農民、兵士にいたるまで広い層におよんでいる。

歌人としては、柿本人麻呂、山上憶良、大伴家持などがよく知られている。



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やってみよう
『万葉集』の中から有名な歌や、気に入った歌を各自で選んで、朗読会を開いてみよう。